東京地方裁判所 平成10年(ワ)5985号 判決 1999年10月25日
原告 株式会社第一勧業銀行
右代表者代表取締役 A
右訴訟代理人弁護士 田口和幸
同 植竹勝
同 村上寛
同 本多広和
同 佐長功
被告 Y
右訴訟代理人弁護士 石井元
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、金三億三六五九万一二九六円及び内金三億円に対する平成一〇年三月四日から、内金三三〇九万一七五二円に対する平成一〇年三月二一日から各支払済みまで年一四パーセントの割合(年三六五日の日割計算)による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、銀行業を営む原告が、被告に対し、銀行取引約定に基づいて貸渡したとする合計金七億九〇〇〇万円の手形貸付債権の残元金三億三六五九万一二九六円及び内金三億円に対する平成一〇年三月四日から、内金三三〇九万一七五二円に対する平成一〇年三月二一日から各支払済みまで年一四パーセントの割合(年三六五日の日割計算)による約定遅延損害金の支払を求めているのに対し、被告が、右手形貸付債務の真の債務者は別人であって、被告は名義貸しをしたに過ぎず、原告もこれを了承して貸し付けたものであるから、通謀虚偽表示または心裡留保により右消費貸借契約は無効であるとしてこれを争っている事案である。
一 争いのない事実等(末尾の証拠の記載のない事実は当事者間に争いがない。)
1 原告は、銀行業を営む株式会社である。
訴外B(以下「B」という。)は、日本で最大といわれる総会屋グループであるa会の会長である。
被告は、社会保険労務士の資格を有する者であるが、a会の正式なメンバーではないものの、その事務の手伝いを行っていた。
2 原告は、昭和六一年七月一六日、被告との間において、左記の内容の銀行取引約定を締結した(甲一、六、以下「本件取引約定」という。)。
(一) 適用範囲
手形貸付、証書貸付、当座貸越、支払承諾、外国為替その他一切の取引に関して生じた債務の履行については、この約定に従う。
(二) 手形と借入金債務
手形によって貸付を受けた場合には、原告は、手形または貸金債権のいずれによっても請求することができる。
(三) 利息、損害金
利息、割引料、保証料、手数料、これらの戻しについての割合及び支払の時期、方法の約定は、金融情勢の変化その他相当の事由がある場合には、一般に行われる程度のものに変更できる。
原告に対する債務を履行しなかった場合には、支払うべき金額に対し、年一四パーセントの割合(年三六五日の日割計算)の損害金を支払う。
(四) 担保
担保は、必ずしも法定の手続によらず、一般に適当と認められる方法、時期、価格等により、原告において取立てまたは処分の上、その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず債務に充当できるものとし、なお残債務がある場合には直ちに弁済する。
(五) 期限の利益の喪失
被告が原告に対する債務の一部でも遅滞したときは、原告の請求によって、原告に対する一切の債務の期限の利益を失う。
3 原告は、被告に対し、昭和六一年七月三〇日、返済期限同年一〇月三一日、利息年五・七五パーセントの約定で、金三億円を貸渡し(以下「第一貸付」という。)、さらに、同年一二月三日、返済期限昭和六二年三月三日、利息年五・七五パーセントの約定で、再度金三億円を貸渡した(以下「第二貸付」という。)。ただし、これらはいずれも弁済済みとなっている。(<証拠省略>)。
4 原告は、引き続き、被告との間で、次のとおり、手形貸付の方法により金銭消費貸借契約を締結し、右各同日、被告に対し、合計金七億九〇〇〇万円を貸渡した(甲二、三、以下それぞれ「本件貸付一」、「本件貸付二」といい、両者をまとめて「本件各貸付」という。)。
(一) 契約締結日 昭和六二年三月四日
貸付金額 金四億九〇〇〇万円
返済期限 昭和六三年三月三日
利息 年五・五パーセント
損害金 年一四パーセント(年三六五日の日割計算)
なお、その後、右返済期限は、毎年の約束手形の書替えにより最終的に平成一〇年二月二七日に延長された。
(二) 契約締結日 平成二年四月一二日
貸付金額 金三億円
返済期限 平成三年四月一二日
利息 年七・八パーセント
損害金 年一四パーセント(年三六五日の日割計算)
なお、その後、右返済期限も、(一)の場合と同様、毎年の約束手形の書替えにより最終的に平成一〇年四月三日に延長された。
5 原告は、本件貸付一の返済期限である平成一〇年二月二七日を経過しても被告から右返済を受けることができなかったとして、被告に対し、平成一〇年三月三日到達の同月二日付内容証明郵便により、本件各貸付金の支払を請求した(甲四)。
その結果、被告は、本件取引約定に基づき、本件貸付二についても期限の利益を失い、本件各貸付金全額について支払義務を負うに至った。
6 原告は、本件各貸付の担保として取得していた有価証券について担保権を実行し、平成一〇年三月一二日、取得金から担保権実行に要した諸費用を控除した金一億四五七一万八九七八円を本件貸付一の元本債務に充当するとともに、右同日、本件貸付一の元本債権と原告が被告に対して負担する金五万四一六三円の預金返還債務とを対当額で相殺した。
その結果、本件貸付一の元本債権は金三億四四二二万六八五九円となった。
さらに、原告は、平成一〇年三月二〇日、有価証券担保実行により得られた取得金から担保権実行に要した諸費用を控除した金三億一一一三万五一〇七円を本件貸付一の元本債務に充当した結果、本件貸付一の残元本は金三三〇九万一七五二円となった。
(以上、弁論の全趣旨)
二 争点
本件各貸付の効力
本件各貸付が通謀虚偽表示または心裡留保にあたるか
心裡留保にあたるとした場合に原告がそのことについて悪意か
【被告の主張の要旨】
第一貸付、第二貸付及び本件各貸付を含む本件取引約定に基づくすべての取引は、実質的には、原告とBとの間で取り決められたBに対する融資であって、被告は、名前を貸してくれと言われ、これに応じ、関係書類の作成に協力したに過ぎない。
被告は、これまで、原告とはまったく取引はなく、本件各貸付のような多額の金額の融資を受ける理由もなければ必要もないし、原告にしても、被告に融資をする意向はなく、Bに融資する方便として被告の名義を利用したに過ぎない。
これらのことは、Bの妻が名義人となっている別件の貸借の経過からも明らかである。
したがって、本件各貸付は、B宛の融資実体を隠蔽することを目的とした通謀による虚偽表示に基づく仮装取引であると同時に、被告の心裡留保によるものであって原告もそのことを熟知しているのであるから、いずれにしても無効である。
【原告の主張の要旨】
原告は、a会のメンバーであるC(以下「C」という。)からBに対する融資の申し出を受けたものの、同人がa会の代表格の人物であることからこれを断ったのであるが、その後、Cから改めて被告に対する融資の申し出を受けたので検討した結果、被告からの申し出により提供されることとなっていた担保株式の評価額等に鑑みれば、特段融資を断る理由がなく、また、被告自身はa会のメンバーでもなかったことから、被告に対する融資であれば通常の融資手続に従って実行することが可能と判断し、本件取引約定を締結し、本件各貸付を行ったものである。
被告は、社会保険労務士という法律職に携わる者であり、本件取引約定に基づく関係書類に、自らの意思に基づいて署名押印しているのであって、自分が借り主となって融資を受けるものであることは十分認識していたはずである。
原告が融資した金員を被告がどのように利用しようと、仮に第三者に交付、預託していたとしても、それは被告と第三者との間の問題に過ぎず、本件各貸付の効力には何らの影響も与えない。
第三争点に対する判断
一 <証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、昭和五七年の商法改正により総会屋に現金を提供する利益供与が禁止されて以降、平成九年にマスコミに報じられるまでの間、自らの働きかけで、一〇年以上にわたり、毎年六月の株主総会シーズンに、本店内の食堂において、会長や相談役、頭取ら最高幹部と総務関係者が出席し、a会のメンバーらをもてなすための会食を開催していた(乙三)。
また、そのせいもあって、a会において、特にCは、原告の役員らとも面識があり、総会業務の担当部門である原告の本店総務部には、頻繁に出入りしており、昭和六一年当時のD総務部長やE総務次長(以下「E次長」ともいう)らともよく顔を合わせ、談笑する間柄だった。
2 Cは、本件取引約定に先立つ昭和六一年五月ころ、Bから、原告に融資を頼んでくれるように言われたため、原告本店総務部のE次長に対し、株式を担保とするBへの融資を申入れた。しかし、E次長の話では、総会屋グループa会の会長であるB自体への融資は問題があるので、a会の会員以外の第三者名義、例えば奥さんに対する貸付とするのはどうかとのことであった。
そこで、Cは、Bにその旨を伝え、Bの了解を得たので、E次長にBの妻であるF(以下「F」という。)名義での金一億円の融資を申込んだところ、E次長から、原告の新宿西口支店扱いで融資がなされるように手配済みであるので、同支店に行って手続をするよう言われたため、Bにその旨説明をした。
3 Fは、昭和六一年五月一九日、Bから頼まれ、同人とともに新宿西口支店を訪れ、原告担当者から差し出された必要書類に署名押印して融資手続を行ったが、その後その資金の使途等については一切関知していない。
なお、Fは、専業主婦であり、定まった収入はなかったが、原告からの融資にあたって、原告から、一度も資金使途や返済能力、資産や収入等についての質問や調査を受けたことはなかった。
4 Cは、Bから、原告にさらに金三億円の追加の融資申入れをするよう頼まれ、E次長に対し、その旨の申入れを行ったが、E次長からは、同じ名前で融資を重ねるのは好ましくないからと借入名義人を変えるように指示があったので、Bと相談した結果、a会の事務を手伝っている被告の名義を借りることとなった。
Bは、被告に対し、迷惑はかけないから原告からの融資の借入名義人となってくれるよう話してその了解を得た上で、Cに対し、原告との間で被告名義での融資手続を行うよう依頼した。
Cからその旨の連絡を受けたE次長は、原告総務部内での検討の結果、被告がa会の会員でなかったことから、同人名義での融資は可能と判断し、Cに対し、原告の兜町支店扱いで融資が実行される手筈になっているので、同支店で手続を行うよう伝えた。
5 被告は、原告とはそれまで取引がなかったが、Bから言われたとおり、原告に普通預金口座を開設し、昭和六一年七月一六日、CとBとともに原告兜町支店を訪れ、本件取引約定書(甲一)に原告担当者やCらから言われるまま署名押印し、さらに同月三〇日、やはり、C、Bとともに原告兜町支店を訪れ、金三億円の借入手続を行ったが(第一貸付)、手続終了後は退席したため、当日融資金はBらが持ち帰り、その後の融資金の使途等には一切関知していない。
被告は、社会保険労務士の職にあり、昭和六一年当時の収入は金一〇〇〇万円強であったが(乙六、七)、原告からの融資を受けるに際して、確定申告書を提出することを求められたこともなく、収入や資産状況、資金使途や返済計画等についてもまったく質問や審査等を受けたこともなかった。
6 原告においては、本来、支店で行う融資であれば、担当者もしくは課長が直接、取引先との間で条件等について交渉を行った上で実行するが、Fや被告に対する融資は本部の紹介案件であったから、本部から支店長へ、支店長から課長へと話が運ばれた結果、支店では、書類作成、融資金の受渡し等の事務手続きを行うに過ぎなかった(証人G)。
7 その後も、原告は、Cから頼まれる都度、E次長が各支店に取り次ぎ、結局、新宿西口支店では、F名義で、前記金一億円の融資のほか、昭和六一年八月に金二億五〇〇〇万円、昭和六二年一〇月に金三億円、昭和六三年三月に金三億円の都合四回合計金九億五〇〇〇万円の融資を実行し、兜町支店では、被告名義で、前記のとおり、都合四回合計金一三億九〇〇〇万円の融資をそれぞれ実行した。
なお、原告によるFや被告に対する融資の際には、多数の株券が担保として原告に差し入れられたが、その大半は、Bの名が裏書きされていたか、a会のメンバーの名義となっていた。
その際、被告やFは、原告担当者やB、Cらから言われるまま、約束手形や有価証券担保差入証書その他の必要書類に署名押印するのみであった(ただし、原告が提出した被告やF名義の書類には、一部、被告やF自身が署名したものではないと思われるものも含まれている。)。
8 F名義の預金通帳及び届出印は、Bが保管しており、同人の自由な使用が可能であったが、被告名義の預金通帳は、Bが保管していたものの、被告の届出印は被告の実印を使用していたため、被告が管理していたこともあって、Bは、押印が必要な都度、被告に指示して実印を押捺してもらっていた。
9 F名義の三回目までの融資はすでに返済されており、被告名義の第一貸付、第二貸付も返済されているが、Fや被告自身は、それらの返済手続を行った覚えはない。
F名義の最後の貸付及び被告名義の本件各貸付については、その後、毎年、返済期限の前に、E次長からCに電話により返済期限とその間の利息金の額が連絡され、Bが利息金を負担することによって、被告やF名義の約束手形の書替え手続を行い、元本が返済されることなく、以後、平成一〇年まで毎年返済期限が延長されてきた。
なお、その間、本件貸付二の実行された前日である平成二年四月一一日に担保となる株券が原告に差入れられ、被告名義の同日付けの有価証券担保差入証書が作成されたのを最後に、その後、バブル経済の崩壊により株価が暴落して担保割れの状態に陥ったにもかかわらず、原告から本件各貸付に関して追加担保の差入れを求められるようなことはなかった。
10 原告は、平成九年春、長年にわたり有力総会屋に対して株購入資金として多額の融資等を行っていたことが明らかとなり、その後、それが大きな社会問題となって、世論の強い批判を浴びた結果、経営陣の交替を余儀なくされた。
そして、原告は、本件各貸付が実質的には自己に対するものであると認識しているBが、平成一〇年二月二三日に本件貸付一の利息として弁済提供した金一〇三八万三九七二円、同年四月三日に本件貸付二の利息として弁済提供した金六三五万七五三四円の受領を拒絶するとともに(その結果、Bは、右各同日、債権者である原告の受領拒絶を理由に東京法務局へ右各金員を供託した。乙四、五)、平成一〇年三月三日到達の同月二日付の内容証明郵便により、被告に対し、本件貸付一の履行遅滞を理由に本件各貸付金の支払を請求し、担保として差入れ中の有価証券の担保権を実行するなどして本件各貸付金の残元本の金額を確定させ、同年三月二四日、被告に対し、本件訴を提起した。
なお、証人Eの証言及び同人作成の陳述書(甲一五)の記載中、右認定事実に反する部分は、証人Cの証言及び同人作成の陳述書(乙八)、同人の別件訴訟における証人調書(乙一三)等に照らして採用できない(Cは、本件に関して特別の利害関係はなく、同人の証言内容は、Eが、本件各貸付を扱った兜町支店を紹介するにあたって、同支店が証券会社の近くで常に多額の現金の出し入れが多い支店であるから都合がよいとか、本件貸付一の際、Cが当初金五億円の融資を申込んだところ、Eから金五億円以上の貸付は本部決済が必要となるから金五億円未満にして欲しいと言われたので、金四億九〇〇〇万円の借入額としたなどと具体性、合理性を有するものであって、信用性の高いものと考える。原告は、Cが当初、陳述書においてF名義の貸付と被告名義の貸付との前後関係を逆に記載していたが、原告の主張や資料が提出された後になって内容を訂正したことを捉えて、Cの証言等には信用性がない旨主張するのであるが、十数年前の古い出来事であり、直接自分に利害関係のない事実についてのことでもあるから、その記憶が(原告から提出された)客観的資料の存しない段階では、若干前後したとしても、そのことのみをもって全体の信用性を左右するものではない。)
二 前記第二、一の争いのない事実等及び右一の各認定事実に基づいて、まず、本件各貸付が通謀虚偽表示または心裡留保にあたるか否かを検討する。
1 右認定事実によれば、本件各貸付は、被告名義のその他の貸付及びF名義の貸付を含めて、実質的にはすべてCとE次長との間で決定されていたことが明らかであり、被告は、BやCから言われるまま行動したに過ぎず、原告担当者との間に具体的な交渉や意思のやり取りをした事実はないのであって、被告と原告との間に、何らかの(虚偽の外形を作出するための通謀の事実があったとまでは認められない。
2 もっとも、被告は、Bから頼まれて、形式上本件各貸付の名義人になったに過ぎず、必要書類についても、すべてBらから言われるまま署名押印したものであって、その収入や返済能力等の点から考えても、自ら数億円もの多額の債務を負担する意思を有していたものとは到底思われない(本件全証拠によっても、被告には、当時、多額の金員を必要とする事情は認められず、また、原告からの融資金を被告が自己の用に使用した形跡は認められない。)。このことは、原告からの被告名義の融資金はBが使用していたことのほか、被告名義の預金通帳を常にBが保管していたこと、第一貸付や第二貸付に対する返済や本件各貸付の利息の支払も被告において行ったことがないこと、何よりもB自身が自分が真実の借り主であると認めていることなどの事実に照らしても明らかである。
これに対し、原告は、被告は法律的知識・能力を有する社会保険労務士であり、本件各貸付の債務者となることを認識しながら自ら本件取引約定書や約束手形その他関係書類に署名押印しているのであるから、借入意思を有していたことは明らかであり、何ら内心の齟齬がない旨主張する。
しかしながら、心裡留保とは、表意者が表示行為に対応する真意のないことを知りながらする意思表示であって、表示行為と表示意思との間に齟齬が存することをいうものではない。被告は、確かに、本件取引約定書や約束手形等に署名押印することの法的意味・効果を認識し、それを行うことは外形上は自分が本件各貸付の債務者となることを十分認識していたのであって(したがって、被告は、自己の表示行為の意味内容は十分認識していた。)、その点は原告の主張のとおりではあるが、前記認定のとおり、その法的効果を自己に帰属させようとする意思、すなわち内心の効果意思までは有していなかった(真実は自分が債務者ではなく、単に名義を貸すだけであるとしか認識していなかった。)のであるから、被告には表示行為に対応する真意がなかったこと及び被告がその事実を認識していたことは明らかである。
したがって、本件各貸付については、被告に心裡留保が存するものと認められる。
原告は、本件各貸付の融資金をBが使用したことに関して、原告が被告に融資した金員を、被告が自ら使用しようが第三者に貸そうが、それは被告の自由であって原告に関わりのないことであると主張するが、前記のとおり、被告としては、本件各貸付の実質的な当事者はBであると理解しており、本件各貸付金を自分が借りたという借り主としての意識はなく、したがって、Bに対して金員を貸し付けたという意識もそのような事実も当然存しないのであるから、原告の右主張はその前提を欠くものであって当を得たものではない。
三 そこで、次に、原告が被告の心裡留保について悪意であったか否かについて検討する。
1 前記一において認定した各事実、すなわち、①原告とa会やBとの関係(原告は、前記一の1のとおり、株主総会を円滑に運営できるよう、総会屋であるa会やその会長であるBらとの良好な関係を保持するために常に苦心していた。)、②被告名義やF名義の融資を開始する経緯(Cは、Bからの融資の申込みをEに伝えたところ、同人は、B自身の名義での融資は困る旨答えたことから、Fや被告名義の融資が開始されている。)、③Fや被告に対する貸付手続(一般に、銀行においては、融資に際しては、融資申込者の職業、地位、身分、収入、資産の保有状況、融資申込みの目的、融資金の使途、返済計画、担保の確実性等を十分調査の上、融資の可否を慎重に検討するのが常識であるが(当裁判所に顕著な事実)、原告は、Fや被告に対する融資をするに際して、そのような検討を一切行っていない。また、融資の際に担保に差し入れられた株券の多くはBの裏書がされており、その他のものも大半がa会の会員の名義であったことから、融資金の実際の入用者がBであったことが容易に推認できた。)、④貸付後の状況(本来、銀行にあっては、融資金額に比して担保物の価値が下落していわゆる担保割れの状態が生じた場合には、貸付額を担保に見合う額に縮小するか、新たな保証人を追加したり、担保物を追加したりして、担保力を保全するのが通常であるが(当裁判所に顕著な事実)、原告は、本件各貸付について、担保割れの状況が続いても追加担保の差入れを要求することもなく、長年利息のみの徴収で、返済期限を繰り延べしてきたにもかかわらず、総会屋との癒着が表面化して、総会屋や原告に対する社会的非難が集中し、原告の経営陣が交替した途端、従前のような返済期限の延長を認めず、被告に対して本件訴を提起した。)などの事実を総合すれば、本件各貸付は、極めて特殊な経過をたどっていると認めざるを得ず、原告は、Cを通じて有力総会屋グループの会長であるBから融資の申込みを受けたが、従前からの関係からしてもこれからの付き合い上からも、これを真っ向から拒絶することができず、かといって、Bに対して直接本人名義で融資することはさすがに好ましくないと考え、第三者の名義を借用しての迂回融資をすることを認め、Fや被告名義を使用して、実質的にはBに対する融資を行ったものと認めるのが相当である。
したがって、(個々の融資手続を担当した担当者レベルではともかく、組織体としての)原告において、本件各貸付が実質的にはBに対するものであること、すなわち、被告には債務負担意思が無く、表示行為と真意とが一致していないことを十分認識していたものと認められる。
2 これに対して、原告は、次のように反論する。
(一) 原告は、右②の点に関して、CからEに対しBに対する融資の申込みがあったが、同人に対する融資はできない旨明確に断ったところ、後日、Cから被告への融資の申込みがあり、被告がa会の会員でなかったこと、担保として差入れ予定の株券の担保能力があったことから、これを断る理由が無く、その融資金が最終的にBに流れるとしても、それは原告には関わりのないことと判断して、本件各貸付を実行したのであって、本件各貸付はあくまで被告に対するものである旨主張し、証人Eはこれに副った証言をする。
しかし、③のとおり、銀行にとっては、特に、数億円単位という高額な融資にあっては、融資金が確実に回収可能か否かが最大の関心事であって、そのためには融資申込者の経済的信用調査が慎重になされるはずであるが、原告は、被告とはまったく取引関係がないにもかかわらず、社会保険労務士であることと、a会の会員でないことを確認しただけで、それ以上の調査、検討を行わないまま融資を実行しているのであって(証人E)、その融資手続は極めて不自然である。
(二) また、原告は、③の点に関しては、当時は株式市況が活発で、株価も右肩上がりで上昇を続けている時代であったところ、Cから、融資金の使途については株式の購入資金と聞いていたこと、担保として差し入れられる株券の担保価値が十分であったことから、住宅ローンや事業資金の融資と異なり、融資申込者の信用調査や返済計画等の審査は不要であった旨主張し、証人Eはこれに副った証言をする。
確かに、担保に差し入れられた株券は、一時的には十分な担保価値を有していた期間があったことは認められるが(乙一二、弁論の全趣旨)、株価は常に上下するものであることは常識であって、担保物として確実性を有しないものであるから(現にその後下落して担保割れを起こしている。)、担保価値の評価には慎重であるべきにもかかわらず、いかなる評価、検討がなされたのか不明であること(証人E、同G、弁論の全趣旨)、Fや被告が数億円単位の株式取引を行った実績はないのであるが(乙一四、被告本人、弁論の全趣旨)、原告が被告らの株式取引実績を調査してもいないし、現実にいかなる用途に使用されたかも把握していないこと(証人E、同G)など、本件各貸付に際しては、原告は、通常行うべき調査を尽くしていないのであって、Eの右証言は採用できない(Eの証言を突き詰めれば、株式投資に使用する目的であると説明し、担保が十分でありさえすれば、当時は誰に対してでも融資が可能であったということにもなりかねず、それは公的使命をも有する銀行の態度として相当でないことはいうまでもない。)。
(三) 原告は、右③の株券の名義に関して、株券は、その名義の如何にかかわらず、所持人が適法な権利者と推定されるから、名義は重視しない、むしろ無視するのが実情で、名義の如何にかかわらず、被告の融資の担保に差し入れられたのであるから、被告のものであると理解していた旨主張し、証人Gや同Hはこれに副った証言をする。
確かに、法的評価としては原告が主張し、証人らが述べるとおりであるが、事実関係の把握の問題として、融資申込者が第三者名義(しかもその大半が当初から融資の実行を希望している者の名義)の大量かつ高額の株券を担保に入れようとする場合、同人がそれらを所持していることの相当性の裏付けや確認を行うのが通常で、本件においてはそのような手続を一切取られていないことについて不自然さを免れない。
(四) 原告は、④の点に関して、担保割れが生じた場合には、追加担保の差入れを求めるのが通常であるが、債務者が書替えの利息を支払える状況であれば、将来の株式市場の回復を期待して、そのまま貸付を続けることがあり、何ら特別の事態ではない旨主張する。
ところが、証人Hは、右④に関して、ケースバイケースで一概には言えないものの、担保が十分であること、利息の支払がなされていること、元金の返済が確実であることの要件を満たせば書替え手続が取られることが一般的であった旨証言するところ、本件においては、原告は追加担保の差入れを要求しておらず、担保が不十分なまま長期間にわたり書替えが繰り返され、利息の支払のみを受け入れてきたという点が特殊である上、突如、平成一〇年には書替えの申し出を拒絶し、担保権の実行に至ったのであるが、その間に、本件各貸付に関して従前と異なり書替えをすることが認められないいかなる事情が生じたのかについての合理的な説明が存しない。
したがって、原告の右主張も採用することはできない。
(五) 結局、原告は、種々主張し、証人Eらも本件各貸付が通常の貸付である旨縷々証言するものの、右のとおり、それらをもってしても、前記1の認定を左右するには至らない。
四 結論
以上の結果、本件各貸付は、被告の心裡留保に基づくものであり、原告がそのことを認識していたのであるから、無効といわざるを得ない。
そうすると、原告の被告に対する本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 村岡寛)